とのじの迷宮

オーディオ・音楽、その他趣味について呟いていきます。

音楽と反体制と、政治的自由

ショスタコーヴィチなら、ハビ・ヤールも森の歌も平気で聴いているので、わたしは実は政治性なんて関係なく音楽を聴いているかもしれない。
しかし、反体制が、音楽業界と言う狭い枠で体制になり、それを嫌悪した大衆が檻で囲って敬して遠ざけた事がある。これ、クラシックの前衛音楽の話だけど、他にも当てはまりそう。例えば、ロックという枠の中では、政治的反体制が体制になっているように見受けられる。反体制でなければロックでない、なんて言説を見ると。
政治性から自由というのは、反体制であることではなく、体制側も反体制側も両方取り込んでしまうことなんだけど、難しいだろうな。

1960年代に若者の音楽として出発した経緯からすると、ロックで現状に対する不満が大勢になるのは仕方がない。ただ、誕生から50年してもそれしかないのなら、進歩がないと非難されても仕方ないだろう。ロックは政治的反体制こそスタンダードであるから政治的自由なんてない、と認めてしまえばお互い楽なんだろうけどね。